Shogun

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『Shogun 将軍』のロマンスはむなしい勝利

ベンジャミンは『SHOGUN 将軍』で描かれるジョン・ブラックソーン(「按針」)と彼の通訳者、戸田鞠子の間の恋愛関係を深く分析する。

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『Shogun 将軍』が西洋の日本認識に与えた影響

文:ルイス(Read in English) 訳:スナイダー・オリビア ディズニープラスとFXが『SHOGUN 将軍』のテレビシリーズをリメイクするニュースを初めて聞いたときは、正直あまり観る興味はなかった。テキサス州の主にヒスパニック系の人が多い都市で育った自分は、日本の文化となると知識は寿司とラーメンの食や、ネットフリックスのおすすめアニメシリーズなどに限られていた。『SHOGUN 将軍』はきっとハリウッドが勝手に想像する陳腐な侍や芸者の固定観念溢れる、普段観てきためちゃくちゃな物語だと思い込んでいた。しかしその個人的な予想はなんと間違っていた。 新しい『SHOGUN 将軍』シリーズはまさにゲームチェンジャーだ。それは私のような西洋人の日本の歴史や文化に対する認識を大きく変えた。いつもの表面的な内容ではなく、日本の封建時代の核心を描いた。メキシコ料理に例えると、ファストフード店タコベルが出しているものと私の母の本格的な家庭料理を比較するのと同じだ:本物となると迷うまでもない。 歴史的背景と『将軍』の進化 写真提供:The Manual 洋画は古くから日本をエキゾチックな舞台として使い、数々のワンパターンを繰り返してその長い歴史と文化を描いてきた。侍とはいつも厳しく義理に縛られ、すぐに切腹をする人物として描かれた。一方、芸者は従順な女性として描かれ、多くの洋画では理想化されている。ハリウッドは日本文化の一番派手な部分を選び、その部分だけを映画で描くことで現実よりもファンタジーに近い「日本」のイメージを作り上げてきた。テキサス州とは、カウボーイと石油掘削装置とアラモの砦しかないと言うのと同じだ:面白いかもしれないが、決して全体像ではない。 1980年に放送された『将軍 SHŌGUN』の連ドラは通常の日本の描き方と少し異なったが、大きな変化はなかった。それは多くの西洋人の視聴者にとって、初めて観る日本の封建時代だった。連ドラの主人公は日本で遭難したイギリス人航海士、ジョン・ブラックソーンだった。当時は画期的なシリーズだと褒められたが、『将軍 SHŌGUN』はまだまだ西洋の視点を通して日本を描いた作品だった。 2024年の『SHOGUN 将軍』シリーズはさらに日本に対する見方を変化させた。今回は、日本人の登場人物も含めて身の上話をしている。このリメイクは西洋の視点を中心にするより、もっとバランスがとれている正確性を通して日本を描いている。ジョン・ブラックソーンのキャラクターのみを中心にする物語ではなくなった。吉井虎永のような日本の人物をより興味深く描くことで、彼らの意欲と苦闘も理解することができる。日本をいつも部外者の視点から見るよりも、今は封建時代の日本の政治、文化、日常生活などを過去よりも近くで見ることができる。 2024年の『SHOGUN 将軍』は日本人の登場人物に西洋のキャラクターと同じレベルの複雑性を与えている。日本についての仮定に異議を唱えるうえ、文化の違いをエキゾチックに見せることなくスクリーン上で描いている。 信憑性と文化表象 写真提供:The American Society of Cinematographers 『SHOGUN 将軍』の2024年版は視覚的に美しいうえ、私を感動させるほど日本文化を詳しく描いていた。 『SHOGUN 将軍』を観る前は封建時代の日本についてほぼ何も知らなかったため、このシリーズがその世界の細部全てに命を吹き込んでいることに圧倒された。主に注目を浴びた部分は言語の使い方だった。英語に頼るより、シリーズは多くの場合日本語の台詞と英語の字幕を利用している。これにより、視聴者は言語と文化に浸ることができ、より本格的な日本の世界に触れることができる。シリーズは複雑な日本の用語や考え方を和らげることなく、ストーリーの中で自然にそれを説明している。 封建時代の日本の権力闘争と社会階層も深く探っている。大名、侍、そして平民の間の関係を中心にし、当時の社会がどう名誉と義理の規範を中心に展開していたかを描いている。これらの詳細は無作為ではない⸺ストーリーの大きな部分を担っているうえ、登場人物とそれらの葛藤を忠実に形作っている。 2024年の『SHOGUN 将軍』が他の西洋の日本映画よりも高いクオリティと正確性を際立たせているのは、歴史的信憑性に向けて払った努力のお陰だ。シリーズの制作者はただリサーチするだけでなく、日本の歴史家、文化専門家、そして俳優たちと密接に連携し、全てが正確に感じられるように頑張った。このコラボレーションは、茶道の描き方から侍のよろいのデザインまで、シリーズのあらゆる部分に見られる。 日本から来た時代劇の専門家は、シリーズに幅広く手を貸した。舞台装置のデザイン、登場人物の行動など、あらゆる面で協力し、封建時代の日本の描写をテレビ番組での最大限の正確さで描くことを保証した。日本の俳優たちもただキャラクターを演じるだけでなく、知識と経験を活かしながらそれぞれのキャラクターや台詞の形成に加わった。 このレベルのコラボレーションは、視聴者に信憑性を感じさせ、他のプロダクションが過去に犯した文化的な失敗を回避する本格的なパフォーマンスにつながった。 東洋と西洋の架け橋 写真提供:Deadline 『SHOGUN 将軍』の中心は、二つの違う世界がぶつかり合う物語。1980年の連ドラと2024年のリメイクは、ジョン・ブラックソーンと吉井虎永の間の関係を通してこの概念を探っている。しかし、このような異文化間の相互作用の描き方は劇的に変わり、現代の国際交流に対する考え方の変化を示している。 1980年の『将軍 SHŌGUN』では、ブラックソーンの物語は主に見知らぬ土地で苦労する外国人の話だった。日本はエキゾチックで神秘的な国として描かれ、文化交流は一方的だと感じた⸺ブラックソーンはその慣れない環境で生き残るため、順応する必要があった。当時はこのアプローチは画期的だったが、主に西洋の目から見る日本を描いていた。 2024年のリメイクはもっとバランスがとれているアプローチでこの物語を描いている。ブラックソーンと虎永の間の相互作用はさらに双方向に思える。ブラックソーンは見知らぬ日本を理解しようと努力するが、同時に日本人の登場人物が彼を部外者としてみるリアクションも描かれている。この展開によって、私たちは文化の隔たりの両側にある複雑さをさらに理解することができる。 新しい『SHOGUN 将軍』シリーズは違う文化を繋げる架け橋となるからこそ際立っている。日本の歴史と文化を正確に描くことで、ステレオタイプにとらわれないよう視聴者に挑戦している。このシリーズは日本の豊富な歴史、社会構造、そして哲学思想を見せ、その文化の魅力をより深く理解できるよう勧めている。『SHOGUN 将軍』は、私を含む多くの視聴者に日本に対する新たな好奇心を呼び起こした。侍と芸者の普段観てきた洋画の描き方を超え、この国についてよりニュアンスのある理解を広げている。 『SHOGUN 将軍』のレガシーと将来の影響 写真提供:The Japan Times 2024年の『SHOGUN 将軍』リメイクの成功は、西洋のメディアにおける日本、そしてその他の非西洋文化の描き方の転換点となるかもしれない。 日本のクリエイター、歴史家、そして文化専門家と密接に連携する西洋の作品が増えると思われる。そのような進歩があれば、明治維新や急速な近代化など、日本の歴史のさまざまな時代を『SHOGUN 将軍』のように丁寧かつ正確に描く映画やシリーズが生まれるかもしれない。このシリーズはまた、日本以外の異文化を尊重するストーリーテリングの手本を示している。視聴者は文化の複雑さを受け入れるストーリーに寛容であり、それを望んでいることを証明している。 『SHOGUN

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『Shogun 将軍』のエミー賞について

Read in English 衣装デザイン賞。視覚効果賞。スタント・パフォーマンス賞。ヘアースタイリングとメイクアップ賞。誰もが熱望する主演男優賞と主演女優賞。そしてテレビ界での最高の栄誉:作品賞。第76回エミー賞では、FXシリーズ『SHOGUN 将軍』は25ノミネートのうち見事に18部門を受賞し、史上最多のエミー賞を手に入れた。 写真提供:NBC News 『SHOGUN 将軍』受賞一覧はこちらでご覧になれます。 この総なめは軽く見ることではない。『SHOGUN 将軍』は全てのキャストとクルーの血と汗と涙を要する大作品だった。俳優及びプロデューサー真田広之が主演男優賞受賞時のスピーチで言った通り、「東と西が(壁を越えて)出会う夢のプロジェクト」は彼らの献身と努力により築くことができた。才能溢れて経験豊富なハリウッドのキャストとクルーは、日本から呼ばれた時代劇専門のクルーと共に各パートで協力し、そのコラボレーションにより小道具・衣装・ヘアとメイク全ての歴史的正確さをスクリーン上で描くことができた。 『SHOGUN 将軍』の総なめは、アメリカの授賞式でより国際的な視点を代表するための新たな一歩を示すシリーズの一つだ。封建時代の日本を舞台にしたネットフリックスのアニメシリーズ『ブルーアイ・サムライ』は、日系アメリカ人のキャストとクルーによって制作され、今年のエミー賞でアニメ賞を見事に受賞した。『イカゲーム』と『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』も同じく、主にアジアの人や言語を描いている作品であることに関わらず、沢山の賞を過去に受賞した。現代の映画とテレビシリーズとなると、アジア系アメリカ人及び全体的なアジア人のディアスポラにとって良き時代へと変わってきている。コロナ禍によるアジア人向けの憎悪犯罪が増えた辛い現代の中、このポジティブな表現は以下にも重要となってきた。 写真提供:IMDb これらの映画やシリーズは、よりアジア人の作者や協力者を主とすることで、西の既成概念や汚いオリエンタリストの考え方を除き、新たな視線から我々アジア系コミュニティを描いている。アジアの歴史、文化、人物などをより正確で真正に描いている。『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』が「厳しいアジア人の親」の既成概念をオリジナルでさらに魅力的な物語に変えた通り、『SHOGUN 将軍』はトム・クルーズの『ラスト サムライ』のような一般的な侍物語を描くより、ジェームズ・クラベルの小説を今まで観たことのない正確さと美しさを含めてスクリーン上で描いた。クラベルの書いた登場人物の名前はフィクションだが、この物語では現実の日本の歴史を実現させている。 それはなんと見事なパフォーマンスだったのでしょう!真田広之が演じたストイックな吉井虎永は、最後まで視聴者をハラハラさせた。動機は何だ?何を考えていた?誰を信頼し、誰が敵だったのか?彼の演技の重厚さと狡猾さの両方が、将来の日本の統一者という非常にニュアンスのある堂々とした描写につながった。真田氏と同じく、主演女優賞を受賞した澤井杏奈も心を惹く演技を披露した。虎永に仕えるキリスチャンの通訳者、戸田鞠子を演じた彼女の演技は、感動的であると同時に胸を打つものだった。シリーズの中で彼女が一番良くできていた登場人物だったと私は思う。鞠子は忠実で賢く、自分の使命ははっきりしていたが、あの時代の社会の家父長制から抜け出せない人質でもあった。『SHOGUN 将軍』が放送されてから、多くの視聴者、評論家、そして有名な女優さんは澤井氏のパフォーマンスを褒めてきた。真田氏と澤井氏、この重要な二人がいなければ『SHOGUN 将軍』はこんなに立派なシリーズにはならなかったでしょう。 写真提供:FX 演技となると、エミー賞を受賞するほどの価値があることは当然だ。ブラックソーンと仲良くなるスペインの船員ロドリゲスを演じたネスター・カルボネルは、ゲスト男優賞を受賞した。樫木藪重を演じた浅野忠信と石堂和成を演じた平岳大は、二人とも助演男優賞でノミネートされたが、『ザ・モーニングショー』のビリー・クラダップに負けてしまった。『ザ・モーニングショー』を観たことがないため、クルダップの演技は受賞するほどの価値があったかどうかは自分自身はっきり比較できないが、共演者をしのぐ裏切り者の藪重を演じた浅野氏が受賞しなかったことには正直驚いた。しかしこの判断が間違いだったかどうかは人それぞれ自分で決めるべきだ。 『SHOGUN 将軍』は、一流のキャストと歴史的ディテールへのこだわりで、エミー賞の全受賞(そしておそらくそれ以上)に値する作品であることを明らかに示したが、テレビ放映された授賞式の後、一部の否定的な声が上がってきた。イギリス新聞『ガーディアン』のある注目された記事では、『SHOGUN 将軍』の 「壮大な演技、演出、脚本 」にもかかわらず、エミー賞を独占したのは 「間違いなく、ここ数年で授賞式を見た中で最大の不意打ちだった 」と主張している。はぁ…⁈ 写真提供:The Japan Times この記事は、『SHOGUN 将軍』のエミー賞 「独占 」が 、「他の価値ある候補が締め出された 」理由であるという非常に弱い論調に続いて、俳優ゲイリー・オールドマン主演の『窓際のスパイ』シリーズの方がノミネートされた賞にふさわしいとほのめかしている。記事はまた、非常に関係のないことだが、いくつかのシリーズが 「間違ったカテゴリーにノミネートされた 」ことにも触れている。もし『一流シェフのファミリーレストラン』がドラマ部門に移動したら、もっと多くの賞を受賞できると本当に思っているのか? 結局のところ、単純な人種差別がその由来だと思う。ポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』や『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』がアカデミー作品賞を受賞したときにも、同じことが起きた。英語でない、字幕が多すぎる、ストーリーに意味がない、より広い観客(つまり白人)にアピールしていない。いつも同じような飽き飽きした議論から始まり、率直に言うと私はそれにうんざりしている。『一流シェフのファミリーレストラン』が数多くのエミー賞を受賞すると、万人は一年中それを褒めるが、『SHOGUN 将軍』が同じことをすると、突然それが問題になる。 『ガーディアン』の記事は、『SHOGUN 将軍』が何らかの形で賞委員会から不当な優遇措置を受けたことを強くほのめかしているうえ、シリーズ自体が有力高すぎるとレッテルを貼っている。このような考え方は、このシリーズの制作に費やされた実際の努力、献身、そして愛情を著しく損なうものであり、危険でもある。『SHOGUN 将軍』の根底にあるのは、自分たちが創作しているものを愛してやまない献身的なチームではなく、お高くとまったショーランナーたちだということを暗に示している。「スナッブ」(snub)とは定義上、明らかに受賞にふさわしい候補者が敗れることである。ドラマ部門の他のノミネート者も優れた候補者であったことは確かだが、「SHOGUN 将軍」が劣っていたとか、ふさわしくなかったという馬鹿げた考えを裏付ける証拠は一片もない。 写真提供:The American Society of Cinematographers 『SHOGUN 将軍』の制作に関わった人々は、このシリーズに命を吹き込むために10年近くの歳月を費やした。台詞と字幕翻訳は見事で、英語圏の視聴者にも日本語の視聴者にも響く。生々しく感情的な会話や壮絶な戦闘のシーンなど、演技はまさに比類ない。日本人や長年の時代劇ファンの厳しい目で見ても、細部に至るまで本物であることが証明されている。『SHOGUN 将軍』はエミー賞のひとつひとつに値する作品であり、くだらない些細なコメントはその功績を奪うことは決してできない。

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【解説】『SHOGUN 将軍』の戦闘アプローチ

FXドラマ『SHOGUN 将軍』は、普段の人気テレビドラマのスタイルと異なってバイオレンスや戦いのシーンを控え目に描いている。アクションや戦闘に対するこのユニークなアプローチは、効果的である。編集長ベンジャミン・ローズが解説する。

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【解説】『SHOGUN 将軍』の通訳技術

『SHOGUN 将軍』のストーリーには通訳が主なテーマとなっている。この記事は、通訳のスタイルや正確さ、個性などを深く分析し、『SHOGUN 将軍』の世界に出てくる様々な言語をより深く探っている。シリーズのベストの通訳者は一体誰でしょう…?

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