文:ベンジャミン・ローズ(Read in English)
訳:スナイダー・オリビア
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第3話、「明日は明日」。虎永とその家来、そしてブラックソーンは船に乗って大阪の港から脱出する。だが彼らが逃げて行くなか、森で木山の侍と戦い続け、その結果港への到着が遅くなった文太郎の姿が遠くに見えてくる。敵を矢で打ち、続けて刀と薙刀で6~7人の敵を倒す文太郎は去る妻鞠子を最後に眺め、殿に呼びかけられた合図で残る敵の方に走り自分の死を迎える。驚くことに、第5話「父の怒り」では文太郎は奇跡的に殿の元に帰ってくる。彼は20人の浪人と共に戦いながら江戸に辿り着き、その浪人のうち2人しか生き残らないが、虎永の軍勢を網代まで見事に連れてくる。『SHOGUN 将軍』は中世のドラマシリーズにしては武術や戦いのシーンを控えめに描いているが、そのアプローチもそれなりに効果的である。
HBOの『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』のような一般的なファンタジーやドラマシリーズでは、非常に強い・強すぎる登場人物や重要なキャラクターが多い。『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』の第3話「名を継ぐ者」では、デイモン・ターガリエンは踏み石諸島の戦争で「クラブフィーダー」と呼ばれる悪人をおびき寄せて暗殺するシーンがある。数百人の弓兵がデイモンに向けて矢を放つなか、彼は自分の力のみで16人の敵を剣で斬り倒す。矢で3回も打たれても彼は生き残る。すでに特別な才能を持つ戦士として描かれたデイモンは戦争自体は一人では勝たないが、この戦いのシーンは流石にとても信じ難い。それはまるで『ロード・オブ・ザ・リング』で、打ち殺される前にオークを20人も連続で一人で倒したボロミアのようだ。

鎧と正確性
大阪の港で起こる戦いのシーンは文太郎の超人的な武術とスキルを描くかもしれないが、『SHOGUN 将軍』は文太郎の現実の世界の利点と制限を両方平等に描いている。まずは、文太郎は鎧を着けている。鎧とは実際に効くものだ。文太郎は戦い相手を自由に切り裂くことはできるが、相手は文太郎の鎧の弱点をターゲットにして攻撃しないと武器は彼に当たらない。続いて、文太郎の戦闘技術はレベルが高いが、『ウィッチャー』のある戦いのシーンのような空間を飛ぶなどのスタントを利用する信じ難い技は使っていない。
『SHOGUN 将軍』が描くバイオレンスはある意味で地味でもあるが、決して退屈ではない。第4話「八重垣」の大砲による大虐殺のシーンは『氷と炎の歌』の世界に存在してもおかしくないほど無残な行為である。だが『SHOGUN 将軍』は暴力を控え目に用い、最も魅力的な戦闘の描き方を、日本やヨーロッパの歴史的な政治や文化を描くのと同じ、厳格なリアリズムのレンズを通して描いている。

大砲に撃たれた馬と人間がバラバラに飛ばされる血まみれのシーンは、現実の世界の大砲武器の効果に基づいている。第9話「紅天」で鞠子の護衛を率いる侍が矢に撃ち殺されるシーンでは、その矢は彼の首を撃つ。首は膝や肩の関節と同じく、動きやすさを優先するために歴史的に鎧の一番弱い部分だった。スタント・コーディネーターのラウロ・チャートランド・デル・ヴァレは、『SHOGUN 将軍』の公式ポッドキャスト第3話で戦闘に対するこの「でたらめではない」アプローチについて詳しく説明している。彼が述べる原則は、アメリカのプレステージテレビやハリウッドのアクション映画の現代的な基準とは驚くほど対照的である。
「多くの歴史的な戦闘は早く終わるものだった。刀や薙刀に斬られたらすぐやられた。現在のテレビでよく観る戦いのシーンでは、特に刀や剣のような武器を使う戦いでは、スタントマンが頭上で剣と剣を当てたり、誰かが攻撃する時は剣を振るアングルが高すぎてブロックしなくてもいいシーンとか...だけど実際に攻撃する時は、ターゲットを直で目指す必要がある。相手が鎧を着けている場合は攻撃できる2、3カ所の弱点を目指すことが最も重要。私はその正確性を優先していた。首、脇、膝の裏、そういう弱い点をターゲットにしないと攻撃の効き目はない。そこを撃っていなければ、でたらめの戦いスタントだと言えるでしょう。」
ーラウロ・チャートランド・デル・ヴァレ

「でたらめ」を超えて
ハリウッドの「でたらめ」問題を上手く避けていても、『SHOGUN 将軍』はまた別の問題に直面していた:原則的にミニマリストでなければならないアクションから、いかに人を引き付ける緊迫感と壮観さをどう作り出すか。その解決方法は、戦いのシーンを重要な筋の決定要因ではなく、その結果に向けて方向を変えることだと私は思う。エンタメ情報サイトIGNが以前、『SHOGUN 将軍』の累積レビューで書いたように、このシリーズでは大戦略と暴力は分離できないもの。つまり、それぞれの戦闘シーンは、互角かそれ以下の相手同士の長引く勢力争いではなく、征服と企画の長く続くゲームにおけるサイコロをもう一度振ることである。侍や戦士の技量ではなく、タイミング、進取の気性、そして運が決定的な決め手となる。ボクシングの試合ではなく、『ゴッドファーザー』のマイケル・コルレオーネにより近い。

高度に軍国化された社会では、文太郎でさえも、ジョン・ウィックのような不死身な者は存在しない。戦いは通常、攻撃の好機を選ぶ戦略家の手腕によって、始まる前にすでに決着がついている。しかし、現実の戦争のように、予想外の出来事も極めて起こる。網代で佐伯の軍に囚われた虎永は敗れるべきだった。同じく、お吟の茶屋で長門に襲われた佐伯はその場で殺されるべきだった。しかし長門は馬鹿みたいに足を滑らせて死んでしまい、その結果虎永に降伏を先延ばしにする宗教的及び政治的な理由を与えた。そのお陰で虎永は江戸に戻ることができ、それは最終的に勝利する機会となった。同じく、大阪城では薮重は鞠子を殺さずにただ彼女を捉えて自分を助けるつもりだったが、鞠子の殉死する意志と忍者の攻撃の混乱により、薮重は状況を支配することができず、結局彼も石堂と共に首を取られた。
一刀、一殺

これは、大予算の冒険活劇のお決まりのパターンからの根本的な逸脱であり、シーズン1の一見拍子抜けするようなフィナーレを正当化するものである。シーズン2で関ヶ原の戦いが描かれるかどうかはまだ未定だが、シーズン1の人気により、その予算は間違いなく与えられるでしょう。詳しく言うと、オリジナルの『ジョン・ウィック』が2000年代前半のアクション映画の過剰なカットや手ぶれカメラを廃し、長回しで構成された高度に振り付けられたアクション・シークエンスを採用した。だがチャド・スタエルスキ監督の『ウィック』シリーズの、意図的にバレエらしくて優雅なジョン・ウーの影響を受けた銃の撃ち方や撮影は、『エクストラクション』のようなフランチャイズでは漫画的でリアルでない結果を出す。だが『SHOGUN 将軍』はこの自己満足を、戦闘に対するアプローチを通して修正してくれている。多くの戦闘スタイルが様々なアクション・シークエンスに優れているうえ、映画のジャンルや物語上の目的によって異なるスタイルが適切な場合もあるが、『SHOGUN 将軍』の自然主義的な暴力の描き方は、アニメやボリウッドのパワーを持つヒーローの偏在の代わりに魅力的な描き方を選んでいる。それは厳格に根拠づけられた歴史性に沿ったものだ。
写真提供:FX
ベンジャミン・ローズはワシントンDC出身、詩人と作家として活動している。
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知的財産とメジャーなフランチャイズを深く調べることで読者および視聴者の皆さんの大好きなシリーズ本、映画、ゲーム、テレビシリーズについて新鮮なコンテンツを作っている。主に『ウィッチャー』、『サイバーパンク2077』、『ロード・オブ・ザ・リング』、『ハウス・オブ・ザ・ドラゴン』、『フォールアウト』、そして『SHOGUN 将軍』を取材している。
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