文:ベンジャミン・ローズ (Read in English)
訳:スナイダー・オリビア
『SHOGUN 将軍』の最終回の一つ前のエピソード、第9話「紅天」は、登場人物が数人大阪に戻ることと、鞠子の殉教の計り知れない影響を描いている。これまでの公開されたエピソードの中で一番良きものであり、シリーズ全体のベスト一話になるでしょう。フィナーレでは関ヶ原の戦いを観れるかはまだ分からないが、第9話はプレミアが約束した素晴らしさを、ドラマ・ロマンス・アクション・ハートブレイク全て通してしっかりと描いている。
スコア:110点!!!

「私たちに必ず、死が訪れる。」1
第9話のオープニングでは、藪重とブラックソーンは石堂と盟約を結ぶ目的で大老衆と会いに大阪城へ向かう。ブラックソーンはポルトガルとの争いを支援してくれる人物を望み、藪重はブラックソーンの「盟友」として自分の首を守ることを求めている。
しかし、二人の努力は直ぐに行き詰まる。石堂の差し迫った勝利に二人は不要なうえ、石堂自体は二人に対して軽蔑しか感じない。間もなく鞠子が到着し、虎永による派遣の理由が明らかになる。鞠子は桐の方と静の方、つまり虎永の妻と側室が、大阪城から出て江戸に帰ることを要求しにきた。
彼女のリクエストを断れば、石堂の政治的な状況が壊れる恐れがある。だが人質が皆去ってしまえば、全ての交渉の切り札を失ってしまい、石堂の反逆行為を振り返ってきっと虎永と盟約する残りの五大老と戦を繰り広げることになる。率直に鞠子と他の五大老を殺してしまえば、自分がクーデターを企てたことを認めてしまい、同じく正当性が崩れて虎永側の盟約が増え、石堂の支配に公然と反抗するでしょう。石堂は完全に虎永に見抜かれている。いくら鞠子に慎ましやかな家計からきたことが侮辱されても、彼女が城から出ることを認めないわけにはいかないが、そのまま自由に行かすわけにもいかない。
虎永の計画での鞠子の立場が明らかになった際に、藪重は自分の不運について不平を言い、ブラックソーンは計画通りに進まないよう鞠子を無駄に説得しようとする。だが鞠子は自分が背負った使命を見捨てるわけにはいかない。翌朝、鞠子は虎永の奥方たちと吉井家の侍護衛と共に大阪城を出ようとする。
石堂の家来に出発が邪魔されると、鞠子は「お斬りくだされ」と侍たちに命じる。ここで虐殺が起きてしまう。鞠子の護衛兵は全て石堂の侍に殺され、最後まで戦う一人の侍は「お仕えでき光栄でござりました」と最後に忠義の言葉を残し、心臓に敵の刀が突き刺さる。この場で退くことを認めない鞠子は女中に薙刀を渡してもらい、どうしようもなく石堂の槍兵を一人で斬り倒そうとするが、一人か二人を倒したところで武器が奪われる。
石堂は彼女を直接殺そうとしないが、鞠子は(殿への)「務めを果たすことがかなわぬのなら、かような不名誉を背負うて生きてはいけませぬ」と宣言し、石堂の暴虐を抗議する印として日没に自害すると誓う。裏をかかれたと気付く落葉の方は、日没までの数時間の間鞠子に死ぬ代わりに降伏せよと説得しようとする。ブラックソーンは自害する予定を辞めろと無駄な訴えをする。絶望的な最後の手段として「生きてほしい、俺のために」と呟くが、鞠子はその望みを悲しい気持ちで断る。固く決心しているが悲しみに打ちひしがれている鞠子は、最後の告解をしにアルヴィト司祭に会いに行く。

「わたしの霊を御手にゆだねます。」2
自分自身の名誉と自害する政治的な必要に縛られた鞠子は、キリスタンとしての信仰の決まりと向き合う。自害することはカトリック教で罪であるため、介錯人に致命的な打撃を与えてもらわなければならない。介錯されなければ彼女は永遠に地獄に落ちてしまう。
やや専門的な話になるが、木山に介錯されることでこの運命を回避しようとする彼女の計画は、現実では完全に機能しない。キリスト教の神学的見地からすれば、これは非常に巧妙な方法であり、自ら選んだ死で介錯人を利用することは、現実的に殉教ではなく自殺とみなされる可能性が高い。
しかし、その不信の要素を保留することができれば、この計画はエピソードの中で特に素晴らしい二つのシーンを設定している。後者のシーンは、鞠子とブラックソーンを効果的に和解させ、遅ればせながら二人の間のロマンスに対するアプローチ全体を正当化している。
先にアルヴィト司祭への告解のシーンがある。第9話のコールドオープンでは、14年前に自害しようとした鞠子をカトリック教に紹介し、改心者としたアルヴィト司祭との深い仲が描かれている。これは短いが非常に親密なシーンであるうえ、第6話のうたかたの世のシーン以来、こんなに脆弱性をみせる鞠子を観ていない。自分は神の赦しを受けるに値しないとアルヴィト司祭と祈りながら打ちひしがれる鞠子の姿に、彼女が何年も耐えてきた苦悩が明らかになる。第7話で虎永から死ぬ許可を要求した、又はプレミアで藤を自害しないよう力強く説得した理由は、彼女の苦難にある。
全体的に、このエピソードでは澤井杏奈の演技力が一番輝いているが、前回のエピソードと同じく、トミー・バストウがここで見せる立体感と共感は、彼のキャラクターをそれほどでもない作品で司祭キャラクターが陥りがちなステレオタイプ(通常は植民地支配者か小児性愛者)よりも高めている。
ジェスイット教及び西洋帝国主義の代理人として、虎永とブラックソーンの敵であることに変わりはないが、鞠子の人生における彼の役割は明白に好影響している。『SHOGUN 将軍』の各エピソードでは、登場人物は悪者であっても、豊かな人間性を忘れずに全てのキャラクターを描いてきた。藪重には反社会的な性格もあるが、裏切り者でもキャラクターとして人気がある。ポルトガル語が流暢に話せる意気地なしの木山までしっかりと登場人物を展開し描いている。それぞれの登場人物は皆重要。各キャラクターの中には色々な面が沢山ある。

「おお太陽よ!生命よ!永遠よ!」3
だがエピソードのフィナーレを外すと、一番のハイライトはやはり鞠子の打ち切られた切腹。
木山は石堂に鞠子を介錯することが禁じられ、その場にはいない。鞠子は辞世を書き、介錯されずに自分の手で死ねば永遠に地獄に落ちることを知っていても、みんなの前で自害をする最後の準備を整える。鞠子が宗教的に見捨てられたこの瞬間に、ブラックソーンはこれまでのストーリーで最もロマンチックな行動をとる:鞠子を介錯すると進み出る。
彼が神を信じるか信じないかは関係ないこと。彼は鞠子の信仰を理解している。この瞬間に、彼女に生きて欲しいという個人的な願望を、死にたいという鞠子自身の使命に従属させる彼の行動は素晴らしい。このシーンは、時には恐ろしいストーリーの美しさにおいて、最もあからさまにフェミニストで二人の愛情の肯定であり、原書からのロマンチックなストーリーの変更も効果的だと思える。
今にして思えば、このシーンでの彼の行動は、原書よりも二人の禁断の情事に対するシリーズの切なくよそよそしいアプローチを肯定し、同時に第6話以降のブラックソーンのキャラクター・アーク全体を再文脈化している。
第5話の終わりには、ブラックソーンは旗本としての役割と同化しつつある日本の社会のルールを受け入れる覚悟ができているように見えたが、次の2話では冒険主義と利己主義に逆戻りし、第8話では鞠子と虎永の両方との関係を壊してしまった。このブラックソーンが鞠子のために彼女を犠牲にすること、すなわち自分では考えられないことを進んで行い、文太郎と広松と同じように「拒否されるとは何か」を学んだことは、切腹が皮肉にも人生の肯定であると同時に否定であると描かれた、この2週間で2回目の切腹を象徴している。
文太郎が父に続いて死を選ぶことを拒否したことは、彼の唯一の済度の機会かもしれない。同じく、ブラックソーンが愛する女を殺すことを厭わないのは、皮肉なことにフィナーレにおいて、彼が他者をすべて見捨てた後に最後に屈服する主である利己主義からの解放の始まりなのかもしれない。
これは二人の関係の極致。いよいよという時に石堂が自分の作戦の無駄を分かり、土壇場で介入し鞠子の退去要求を認める。これはハッピーエンドになる希望の気持ちが、たとえ短いものであっても、視聴者の中で一瞬感じられた。
鞠子は自害をしない、ブラックソーンは彼女を介錯しなくてもいい、虎永の側室と他の人質は自由に大阪城を出てもいい。人質は直ぐに出発の準備を進め、その夜ブラックソーンと鞠子は愛の営みをし、抱き合って眠る。このシーンは、まったく地に足の着いたままでありながら、その力強さは極限まで超越している。

「あなたに栄光あれ!」4
だがこの幸せは続かない。チャンスを失った石堂は、最後の手段としてみんなに使われる裏切り者、藪重を利用すると決める。
鞠子が生きていることと人質が解放されたことを城中で祝うなか、藪重は急に侍を数人こっそりと刺し殺し、城内の秘密の通路の扉を開けることで忍者の暗殺団が忍び込む。彼らのミッションは、鞠子を捕獲し城外で殺すこと。こうすれば石堂は説得力のある反証をありながら彼女の脅威を排除することができる。
忍びが吉井家の部屋を通り何人もの人を殺していくなか、藪重は自分の裏切りを隠すため警鐘を鳴らす。ブラックソーンと鞠子は鉄砲と短刀で忍びと戦い続ける。一つのエピソードで2回目の血まみれの戦いのシーンだ。恋人二人は桐の方、静の方、そして藪重と一緒に内蔵の中まで逃げて鍵をかける。ブラックソーンが扉を塞ぐためにもがくなか、藪重は自分の卑怯さと裏切りにより手伝わないで体が凍ってしまう。その瞬間に、鞠子は自分の時がやってきたと決心する。
鞠子はみんなを守るように扉の前に立ち、最後の息で石堂を起訴する。彼女が話している最中に忍びの爆弾が爆発する。エピソードのラストショットは、扉がバラバラに飛ばされるなか、一瞬だけ鞠子の魂が体から飛び出すような幻影のイメージ。その映像は永遠にブラックソーンの記憶に残るでしょう。
鞠子は見事に死んだ。それは『SHOGUN 将軍』の第9話の悲痛な結末となるが、彼女の死は殿の勝利の祭壇に捧げられた重要なものかもしれない。これは、確かに史上最高のテレビエピソードのひとつだ。100点満点なのに110点を与えるほどだ。意見が合わない人は藪重ほどの悪人だ!
写真提供:FX
ベンジャミン・ローズはワシントンD.C.出身の詩人。「エレジー・フォー・マイ・ユース」と「ダスト・イズ・オーバー・オール」を2023年と2024年に発刊。アメリカカトリック大学で英語学を専攻し、2023年にオへーガン詩賞を受賞。2019年から「ザ・パス」のブログを編集している。彼の本はこちらから購入可能。
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