【ネタバレレビュー】『Shogun 将軍』第3話「明日は明日」

文:ベンジャミン・ローズ(Read in English

訳:スナイダー・オリビア

スコア:85点

『SHOGUN 将軍』第3話「明日は明日」はこれまでのエピソードの中で一番良くできているものかもしれないが、欠点もある。按針の暗殺計画に続いて、虎永は大阪から逃げることができるのか⁈それではストーリーに「飛び込み」ましょう!

薮重の時は今日ではない

第3話「明日は明日」の最後の方のシーンでは、虎永は息子長門に、薮重と協力し新たな大砲隊の鍛錬に力を貸すことを指示する。それを聞いて驚く「虎永ジュニア」は、薮重の裏切りが既に明かされているのに何故彼を信頼するのかを父に問う。虎永はこう答える:

「お前はいつになったら分かるのじゃ、敵も味方も駆け引き次第。この世で頼むべきは己のみぞ。」

ー虎永

この答えは、第3話の中心のテーマ。これまでの『SHOGUN 将軍』の中で一番バイオレンスが多いエピソードであり、一番政治的に複雑なエピソードでもある。今までは虎永が計画を立てて行くところを観てきたが、今からはその結果が見えてくる。

前回のエピソードでは、ブラックソーンはマカオでのポルトガル秘密砦のことを虎永に口外し、その後大老木山の指示により城の女中と変装していた暗殺者は按針を殺そうとしたが、彼女は失敗し虎永に殺された。第3話は、遺言を書く薮重から始まる。暗殺計画に加担した薮重は、虎永と会う前に自分の死刑が宣告されることを予想し、急いで遺言を書いてもらっている。試される虎永は、阿弥陀党の暗殺者は虎永本人ではなく、ブラックソーンを狙ったことを理由とし、とりあえず薮重の命を助けることにする。

薮重の行動を振り返ると、『ゲーム・オブ・スローンズ』のリトルフィンガーを思い出す。二人のキャラクターは少しいたずら好きで、能無しの性格が似ている。駿河の国の領地を広げたい望みをきっかけに、石堂と木山にブラックソーンの情報を漏らしたと薮重は自己弁護する。虎永の提案は、ブラックソーンと妻の桐の方を網代まで護衛することと引き換えに、駿河の国を約束する。薮重は今のところは刀を上手くよけたが、この状況では誰でも首が狙われそう。

写真:薮重の鎧を見ればラップアルバムのカバーが思い浮かぶ(「兜ドリップ ft.樫木央海」)

大阪から脱出

大阪を自由に出る許可がない虎永は、脱出する策略を考える。それは桐の方を運ぶ輿が網代に向かって薮重の護衛と出発する時に、虎永は妻と場所を交換し、その変装で大阪から脱出する計画。だが一つの大きなハードルは、その行動が怪しいと思う石堂を上手くごまかすこと。虎永はほぼ皆からその計画のことを隠す。出発前に石堂と少佐の根原丞善が侍を数人連れて現れ、桐の方にお別れの挨拶をしにきたと押し付ける。これは輿を探し、虎永の家臣を大阪の港まで見送る都合のいい言い訳である。

だが賢い虎永は妊娠した側室静の方に上手く騒いでもらい、みんなが静に注目している間気づかれずに桐の方と場所を交換する。薮重と虎永の侍と共に、石堂と丞善の軍も同行しながら護衛は出発する。この時点では薮重を含めて、輿には桐の方ではなく虎永が乗っていることを知っている者はブラックソーンと鞠子だけ。だが石堂が再び輿の確認を命じると、ブラックソーンは即興で対応するしかない。「女性の私室をのぞくなど不適切、それ以上に無作法だ!神を恐れぬわいせつ行為!」と怒鳴り散らすブラックソーンは、その道化でみんなを虎永の捜索から一旦紛らす。とりあえずセーフだ。虎永は敵の目の前で計画通りに大阪を出てゆく。ここで何が悪い方向に行くのでしょう?

写真:虎永が輿から出る

森林火災

余裕だと思っているなか、全てが失敗する。鞠子とブラックソーンが不可避な恋愛関係に向けて一歩進む間、護衛は木山の侍に襲われる。木山はまだプロテスタントの異端者ブラックソーンを殺す目的に向けて熱心だ。もうそれは諦めたらいいのに...

木山は護衛のメンバーをみんなターゲットにして火矢を次々と放つ。鞠子は必死に殿を助けようと輿から出すが、虎永がいると気付く丞善とその侍は、木山の攻撃の最中に虎永と薮重の侍と戦い始める。真田広之と澤井杏奈には、刀と薙刀を持ってかっこよく戦うチャンスが与えられる。その間、日本の刀に慣れていないブラックソーンはただ二人の邪魔をしないようにする。

鞠子の夫であるすご腕の弓兵戸田弘勝(文太郎)が敵を撃退するなか、生き残った者は港まで逃げるが、文太郎は船に乗り遅れ画面外の不確かな死に至る。第1話でブラックソーンが助けた網代の乗組員に支援され、「チーム虎永」は港からの脱出を掛け合うためポルトガルの黒船に乗る。

虎永は自分の無害通行と引き換えに、フェレイラと司祭たちに10,000銀テールと江戸でキリシタン教会を建設する許可を差し上げる。司祭たちはこれを受けることにするが、一つ条件を増やす:ブラックソーンが一人で残ってもらうこと。大阪に残れば誰でも全員に自分がターゲットにされると分かっている按針は、「やってやる」と言い、虎永の船で黒船と競争する。ロドリゲスが船をぶつけない恩のおかげで、ブラックソーンとその乗組員はみんな助かり、港から無事抜け出す。虎永は「はっ!按針めやりおった!」と褒め、自分の船に戻る。彼はできることをした、それ以上でもそれ以下でもない。按針が自分の力で脱出したのならば、それは虎永には関係ない。

写真:ダイビング競争前のブラックソーン

按針・フェルプス

ブラックソーンと虎永の「ブロマンス」を描きいい感じでエピソードは終わるが、大阪では大変なことになっている。大老衆を遮る戸田広松は、「虎永様より遺憾ながら一身上の都合にて大老職を辞すると決めた由」と報告する。虎永は家族と時間をもっと過ごしたいと言い訳する(家族は皆まだ大阪にいるが...)。つまり、今は虎永を弾劾することはできない。「やってやる」に近いことを石堂は言うが、広松は太閤の命令により、八重千代が元服するまで五大老体制が必要だと指摘する。だが今は4人しかいない。向かい合う石堂と広松は、その空席を埋める高齢の方を思い浮かべる(もしかしたらバイデン氏⁈)。

その間、虎永はブラックソーンに「旗本」のタイトルを与え、薮重の新しい大砲隊の訓練を担当することを命じる。この大砲隊はブラックソーンが乗ってきたエラスムス号に乗っていた大砲を使用する予定。ブラックソーンは兵でもなく、侍にヨーロッパの大砲戦法を教えられる立場ではないが、その辺は鞠子に通訳してもらわない。虎永の指示によりブラックソーンは何度も海に飛び込み、ダイビングの正しいフォームを実演する。観察でそれを学んだ虎永はブラックソーンとの競争を提案する。「手は抜かないよう、お嫌いなので」と鞠子は伝え、二人は海に飛び込む。

写真:攻撃中に戦う虎永

ターン制の虎永

このエピソードには良い点が沢山あるが、「明日は明日」は時に強く出過ぎている。強みとしては、虎永は過去には権力とずる賢い特徴をみせてくれたが、このエピソードでは真田広之には虎永を全てを超越する人間ではないところを演じるチャンスが与えられた。虎永はチャーミングで反社会的な薮重を平気で味方として利用し、情けをかける中でも彼を操り嘘をつく。日本のRPGによくあるターン制や時間制の戦闘システムを思い出すようなやり方で、虎永はステルス、剣術、欺瞞、そして冷酷さをリアルタイムで駆使し、多種多様な試練に対応することを余儀なくされる。それぞれの問題には異なるアプローチが必要となり、決断に至るにはマッスルメモリーに頼ることしかできない。

色々な意味で、このエピソード全体が彼の性格描写を深め、武術と政治的な洞察力をさまざまなレベルで描いている。これは『ウィッチャー3』のより手の込んだクエストを思い出させる。素早い行動やセリフの判断が、生き残るために刃物の腕前と同じかそれ以上に重要になることもある。

ある指導者は謀り、ある者は戦う。部下の命の価値を知る高貴なものもいれば、部下を使い捨てのポーンのように利用するものもいる。虎永は両方の特徴を持っている。薮重と、海賊行為が明かされたブラックソーンには情けをかけるが、一方状況によりちゅうちょなくブラックソーンや文太郎を犠牲にするこのに対して違和感を感じない。どっちにしろ、やっぱり真田広之が人を刀で斬るシーンを観るのは楽しい。63歳になった真田でも、洋画に出演するずっと前から日本で大人気だったアクションシーンの素晴らしさを『SHOGUN 将軍』にも輝かせている。

写真:薙刀で戦う鞠子(絵:ナタリー・ビエラット)

バイオレンスの女

鞠子の薙刀バトルシーンも同じく面白い。森での戦いのシーンでは映画撮影術が時にずれているが、ブラックソーンがホッケースティックのような武器の使い方を覚える前に鞠子は手際よく5~6人の兵を斬り倒す。17世紀の日本の文化や歴史について分かりやすく説明するFXウェブサイトの『SHOGUN 将軍』オンラインガイドでは、薙刀はその時代の高貴生まれの女性が一般に使っていた武器だったと示している。攻撃中に戦う鞠子には「かっこいいフェミニスト」の瞬間が与えられるが、シリーズの歴史的正確さはしっかり保証している。

時代特有の家父長制を正確に表現することと、主人公の女性を無力で無気力な存在にしないことの間にバランスを取るのは難しいが、今のところ、澤井杏奈の演技と作者ジャスティン・マークスと近藤レイチェルの脚本は、鞠子の主体性と限界を等しく描くことに成功している。鞠子はアジア人女性に対する最悪のステレオタイプに見られるような従順さはないが、彼女の大胆不敵さは、社会構造の中での様々な役割を巧みに調整することと組んで、鞠子を一種の半保守的なヒロインとして描いている。自分の「居場所」とは、男性に恭順することではなく、社会的世界の誰もが従う貴族的な名誉システムの中で義務を果たすことにあると知っているヒロインだ。

しかし鞠子の主体性は文太郎との厳しい結婚生活と反している。文太郎は周りの人たちに尊敬されている武士でもあるが、性差別的で怒りっぽい性格もある。鞠子はその夫と共存し、彼の言うことに従うしかない。『SHOGUN 将軍』には完璧なヒーローはいない。各キャラクターはどのような人物であろうと、人間の誤謬や偽善を免れることはできない。これにより、最近観たシリーズの中で『SHOGUN 将軍』は一番熟慮したストーリーだと思う。このシリーズはスローガンだけではなく、複雑さを通して表現を把握することのできる、知的で注意深い大人向けの番組である。シリーズ自体もその魅力に気付いている。

写真:薙刀を持つブラックソーン

怒鳴るばかりの按針

私の意見ではこのエピソードはブラックソーンのベストではなかった。按針を演じるコスモ・ジャーヴィスの演技力は素晴らしいが、コメディ系には適していない。第3話で石堂の軍の注意をそらしたシーンや、ボートレース中にロドリゲスと交換した口喧嘩では、とにかく怒鳴ることや叫ぶことが多すぎた。その状況で大きな声を出すことは筋の通った行動だが、何故かブラックソーンのキャラクターには合っていない。ブラックソーンのベストといえば、「場違いの人間」さを表しているシーンだ。たとえば、鞠子とセックスについて気まずい会話をしている時や、傷の手当をする医者が魔法使い又はポン引きだと勘違いするシーンが一番観てて面白い。

ボートレースの勇敢なシーンでも、特にピンとこなかった。これは『ゲーム・オブ・スローンズ』的な照明が暗すぎたことも一つの理由だが、17世紀の船が動くスピードも現実的ではなかった。興味を引くドラマチックなシーンのはずだが、初めて観る視聴者にとってブラックソーンがまさか負けて死ぬとの疑いが想像しにくかった。逆にロドリゲスと侮辱し合うために入れたシーンだと考えた方が想像しやすい(それはそれで十分面白いけど)。

最後に

前話ほどバランスが取れているエピソードではないが、「明日は明日」は『SHOGUN 将軍』のストーリーを野心的な方向に進めていく。つまずきも少々あるが、これまでのシリーズの最高点を数々掴んでいる。

写真提供:FX

イラスト提供:ザ・パス/絵:ナタリー・ビエラット

ベンジャミン・ローズはワシントンD.C.出身の詩人。『エレジー・フォー・マイ・ユース』と『ダスト・イズ・オーバー・オール』を2023年と2024年に発刊。アメリカカトリック大学で英語学を専攻し、2023年にオへーガン詩賞を受賞。2019年から「ザ・パス」のブログを編集している。彼の本はこちらから購入可能。

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