文:ベンジャミン・ローズ (Read in English)
訳:スナイダー・オリビア
今回の『SHOGUN 将軍』第6話「うたかたの女たち」では、女の戦いがエピソードの中心となっている。鞠子は自分の使命に向かい合い、ブラックソーンとの関係を見返す。落葉の方は大阪で権力を成す。戦の日は段々虎永に迫ってくる。
スコア:80点
過去の記憶
第6話は22年前の安土城で幕を開ける。まだ子供の鞠子は黒田様の家臣である父明智仁斎と共に城で暮らす。黒田様は「戦国三英傑」の一人目だった織田信長の『SHOGUN 将軍』バージョン、そして第5話の夕飯シーンで鞠子が語った、極悪非道を止めるため明智仁斎に暗殺されたもの。鞠子は同い年くらいの貴族の瑠璃姫と仲良くなるが、ある夜黒田が家臣を殺す残酷な様子を目撃してしまい、だんだん城を覆う闇に気付き始める。「そなたは夢を見ておるのじゃ」と、虎永に引き止められた明智は若い娘に言う。
続いて10年ほどタイムスキップをする。若い女性となった鞠子は、父の前で薙刀で貴族の女の練習相手とスパークリングをし、それを横から見る瑠璃姫。そこには鞠子の将来の結婚相手、文太郎もいる。仁斎は鞠子と文太郎の結婚同盟を契約したが、鞠子はその理由を理解できない。瑠璃姫は「私たちは贅沢三昧に暮らせる身。力及ばぬ事は目を閉じて見なければよいではないか?」と鞠子を慰める。鞠子が城を出るなか、仁斎の声がこう響く:
「鞠子、我が最愛なる娘。お前の悩み苦しむ姿に心が痛む。常に従順な子であったお前にも大義のために尽くす時が来た。使命は受け継がれるもの。それがすべてなのじゃ。」
ー明智仁斎
現在では、ブラックソーンの庭で霧を眺めながら父の言葉を思い出す鞠子。その中で、子守唄のような不思議なメロディーが流れる。

「御心の天になるごとく地にもなさせたまえ」
夜が降りてくる。虎永は、網代の地震で命を落とした人のために慰霊祭を行う。そのロスを嘆く男たちに、虎永は「死は必ず生の終わりに訪れるものじゃ。すなわち、死は生きた証でもある」と励ましの言葉を伝える。殿の命を救ってくれたブラックソーンへの褒美として、虎永は按針に関東水軍の大将と大砲隊の大将を兼ねて任じ、神奈川近くの600石に値する領地を与える。だがこの大した光栄である褒美を受け取るしかないブラックソーンにはまだ不満が残っている。彼が望んでいることはただポルトガル人の「黒船」を攻撃し、自分だけの政治的な目的を果たしたいだけ。その間、文太郎と央海はブラックソーンの昇進を恨む。
慰霊祭の翌日、虎永が文太郎との面会で妻に暴力を降ることについて𠮟責し、7日間鞠子から離れろと命じる。やはり前に思っていたよりも、虎永は鞠子の苦しみを労わっていることが分かる。優しい殿でもあるが、ポルトガルと戦うため船と船員を返してほしいと再びリクエストをするブラックソーンを再び拒否する。鞠子とブラックソーンの間の関係を完全に見抜いている虎永は、ブラックソーンを「うたかたの世」という売春宿へ連れていきお菊と一晩を過ごし、鞠子も通事としてついて行けと命じる。
命令を断ることができず、二人は複雑な関係を修復し、殿の大義に集中することを求める虎永の要求に立ち向かわなければならない。ブラックソーンとは何もないと、妬ましい央海を菊は慰めるが、彼の嫌な気持ちは晴れない。だが樫木の男を追う問題はそれだけではない。軍隊が崩れ、権力も縮んでいく薮重は、家臣に「そろそろ遺言を書き換える頃合いじゃな」と伝える。
鉄の女
大阪では、状況が急速に悪化している。落葉の方の指導で、石堂は大老衆を人質にし、侍を何人も殺している。大老衆の5人目の空席が埋まる日、つまり虎永の死罪が宣告される日が迫ってきていると気付く戸田広松は、大阪城に虎永の妻と側室を残し、網代に向かって大阪城から逃げ出す。
その間、マルティン・アルヴィト司祭とデラクアは落葉のカトリック教会に対する敵対を踏まえて虎永との同盟を検討する。
後ほど、落葉の方が八重千代の髪をとかす間、まだ瑠璃姫だった頃に父であった黒田が京都で暗殺され、安土城を夜中に去った日を思い出す。その後、太閤の側室となった落葉は、不毛の太閤の世継ぎの母になるよう大蓉院に「苦き薬草で酔わせ、口にできぬような事」を強いられたと石堂に語る。八重千代の真の正体は、知らぬ相手との私生児だと強く仄めかしている。
城で開かれた能を観る間、大老衆たちはお互いに口論する。杉山は落葉と石堂の強行政治に道徳的に反対する唯一の人。石堂は能の俳優を一人掴んで大老衆の5人目になるよう上手く説得する。落葉は、虎永に対してさらに断固とした行動をとるよう石堂に迫り、その要求には性的な操りの裏もある。
手負いの戸田広松は半分意識不明の状態でやっと網代に辿り着き、虎永は評議会を行う。権力の立場が崩れていく現状を意識し、戸田は「紅天」作戦を開始せよと虎永に助言する。紅天とは、昔から企画していた作戦。それは虎永の弟提供の江戸からの加勢と共に、一気呵成に大阪城に攻め入り、大老会議を廃し、新しい体制を作り上げて虎永を一人の大老とする、つまり将軍になる成功確実な策である。虎永はこの提案を反対するが、味方が彼を敵に回すか、無法者となる選択肢の現状では、近々敵の数が多くなり彼には勝ち目がないと理解している。早く決断を出すか、死ぬかを選ばなければならない。
うたかたの世
鞠子はブラックソーンと共に「うたかたの世」に行き、お菊が二人の前に現れる。お菊と一緒に夜を過ごすことが目的だが、虎永は別の行動を仄めかしていたのでは。鞠子はお菊の言葉を通訳しながらこう語る:
「こちらにおいでになる方は皆様忘れたいものをお持ちでございまする。退屈、痛み、苦しみ、落胆。皆様ここは快楽に溺れるための場所と思うておられまする。それだけではないのでございまする。私がお相手をする方々の望みは別の人生や環境。別の所へ行きたいと願うております。私はかような望みをかなえて差し上げております。安らぎに満ちたずっといたいと思うほどの完璧な瞬間を生み出す。あなたのその目で欲しい物をご覧なさいまし。着物を脱いだ私、ありのままの私を。二人を隔てるものはない。解き放たれた私…今ここで私と一つになってくださいませ。」
彼女の声は急に小さくなっていく。自分の使命の重要さ、亡き父の記憶、ブラックソーンを失う痛みの気持ちが全て湧き出る。一緒になれない二人は、ここで互いのことを忘れるために連れてこられた。鞠子の通訳が三人称代名詞から一人称に変わっていくなか、彼女の言葉には苦痛と願望の気持ちが溢れ出る。それで按針と鞠子の間の単に短すぎた恋愛が閉幕となる。ブラックソーンが部屋を出るときに一瞬だけ、鞠子の手に触れる。『SHOGUN 将軍』のエグゼクティブプロデューサー、ジャスティン・マークスによると、何故かこの手と手が触れるシーンがシリーズの中で「一番セクシーな瞬間」らしい。彼には絶望がフェチなのではないか。
全てが崩れる
大阪では、全てが崩れ落ちてくる。「落−堂」(カップルではないがそのようにみえる二人)のペアを反対する杉山は、大老衆の中で一人だけ。落葉の方は行動を中々起こさない石堂を責める。「宿命の目をえぐり出すことができたのじゃ」と語る落葉に権力の価値を侮辱された石堂は、それに耐えられなく動き出す。
杉山とその家臣や家族が大阪から逃げ出すなか、石堂は森の中で待ち伏せし、杉山家を皆殺しにする。これから先はただの「官僚風情」としてみられない。戦場に出ることが余儀なくなった虎永は、弾劾が宣告される日がより近くなったと分かっている。だが虎永は無法者扱いされることは認めない。大阪を攻撃して敵を倒す。紅天はいよいよ始まった。
最後に
スコアをみれば、第6話の点数が今までのエピソードの中で一番低いが、最低のエピソードである意味ではない。「うたかたの女たち」では、様々な回想シーンとうたかたの世でのシーンは最高だった。第4と5話はブラックソーンを中心にしていたが、今回は鞠子がストーリーの中心となっていたことがとても良かったと思う。落葉の方の凶悪な部分も観れたのでとても面白かった。
だが第6話にはブラックソーンはほぼ登場していないうえ、話すことも少ない。これを見て思うのは、やはり登場人物の3人の中、上手くバランスを取りながらスクリーンタイムを与えるのは非常に難しいチャレンジ。第3話からは『SHOGUN 将軍』は面白いシーンを沢山みせてくれたが、虎永・ブラックソーン・鞠子の観点が一番平等に描かれているエピソードは第3話だった。あれ以来各エピソードでは2人のキャラクターは中心となるが、逆に3人目はほぼ登場しないようなパターンになってきている。虎永が皮肉なことに一番登場するシーンが少ないと感じる。政治的なシーンでは虎永の存在が重要であるうえ、後半に鞠子と使命と名誉について話す会話もあって良かった。
『SHOGUN 将軍』の一番残念なデメリットは、ブラックソーンと鞠子の恋愛関係が早く終わってしまったこと。ヨーロッパ中心主義のレンズを避ける意志、また1200ページの本のストーリーをテレビのたった10時間分に変えていくチャレンジが原因なのか、二人の関係は早く始まり早く終わった。澤井杏奈とコスモ・ジャーヴィスは高い演技力を持つうえ、一緒に登場するシーンでの相性は明らかだ。だがいつも思うのは、プロデューサーたちが「異星の客」的なダイナミックをなるべく避けるようにし、その影響でロマンスのストーリーのクオリティが落ちてしまったかと思う。全ての筋の中で恋愛だけがきれいに出来上がっていない。
「日系アメリカ人として観る『SHOGUN 将軍』」(文:スナイダー・オリビア)の記事に書いてある、洋画によく出てくる「白人の救世主」とそれに基づくアジア系男性の無力化を気にして多くの恋愛関係を避けたのではと思う。だがこの時点では、『SHOGUN 将軍』はすでにこのような問題点を利用していないことが視聴者に分かっている。なのにそのメッセージを押し付けるように、ロマンス系の筋を大して描いていない。まるで脚本家たちが鞠子とブラックソーンが互いを好きすぎることを危惧し、批判を恐れて二人の関係にこだわらなかったかのようだが、鞠子が元々ブラックソーンとの関係を追ったことを踏まえるとあまり意味がない。逆に今の曖昧な描き方の方が退嬰的だと感じる。
次の点は視聴者の中で意見が別れると思うが、『SHOGUN 将軍』の大ファンであってもシリーズの欠点は見逃せない。鞠子が「戦が始まる」と告げたエピソードに続いて、まだ特に重要なバトルや戦は起きていない。ほぼ全ての面で優れているにもかかわらず、いかに逆説的に聞こえるかもしれないが、『SHOGUN 将軍』のストーリーはなぜか速すぎるようで同時に遅すぎる。
写真提供:FX
ベンジャミン・ローズはワシントンD.C.出身の詩人。『エレジー・フォー・マイ・ユース』と『ダスト・イズ・オーバー・オール』を2023年と2024年に発刊。アメリカカトリック大学で英語学を専攻し、2023年にオへーガン詩賞を受賞。2019年から「ザ・パス」のブログを編集している。彼の本はこちらから購入可能。
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