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【ネタバレレビュー】『SHOGUN 将軍』第5話「父の怒り」

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文:ベンジャミン・ローズ (Read in English)

訳:スナイダー・オリビア

「SHOGUN 将軍」の第5話は、権力、紛争、そしてその結果を描く劇的なエピソードである。エピソードを観た後に、一番に思い浮かぶ言葉は「根気」の価値である。石堂との必然的な争いが迫ってくる中、虎永は戦争へ向けて準備を進める義務と共に、薮重の忠誠を保証する必要もある。一方、鞠子とブラックソーンの間に始まったばかりの恋は、死んだと思われた鞠子の夫文太郎が戻ってくることで急に中止となる。

スコア:100点

広まる渦中

鷹狩は徳川家康の有名な趣味の一つであった。第1話で初めて観た虎永は、宿命的な五大老との会議を迎える前に、大阪の外で鷹狩をしていた。第4話で起きた長門による根原丞善の悲惨な殺しに影響されて、虎永は息子にこのような知恵を貸す。

「いささかの疑いも持たなんだか?丞善を亡き者にするよう薮重にはめられたやもしれぬと…いや、お前のあのような愚行に駆り立てさせたのは野心に燃える甥のほうか?

そなたはやすやすと罠にはまりおった。手なずけられたのじゃ。タカと変わらぬわ。さほど麗しゅうもないがのう!人もタカも同じじゃ、わしが命ずるままこの拳からまっすぐに飛び立ち動く物を全てを殺す者がおる。その一方で餌で釣らねば動かぬ横着者もおる。じゃがな、手なずけられん者などおらぬ。人を操り、獲物めがけて飛ばすすべを身に付けよ。そなたのために狩りをさせるのじゃ。」

ー虎永

長門は憧れの父が大好きで、父の為なら何でも熱心に活動する。でもまだ愚かで未経験の息子である。父の立場に手が届くのはまだまだ早い。「根気」の真の意味をまだ理解していない。徳川家康からはこのような名言が残されている:

「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。

不自由を常と思えば不足なし。心に望みおこらば困窮したるときを思い出すべし。

堪忍は無事長久の基、怒りは敵と思え。

勝つことばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。

おのれを責めて人をせむるな。及ばざるは過ぎたるより勝れり」

ー徳川家康

「父の怒り」では、全ての登場人物の根気が試される。虎永は戦争に向けて軍隊を整える中、家臣の裏切りや策略を治める必要も迫ってくる。薮重は自分の権力が弱っていることに気付き、慌てる。文太郎はまるで死から蘇ったかのように現れ、鞠子はその虐待の家庭に再び囚われる。ブラックソーンは鞠子の苦難を目撃したうえ、生きることと人の命を軽視するような日本の「死生観」を納得できない。全ての紛争の中、ブラックソーンの家で腐り続けるあの雉の死骸...あの鳥は一体どうするつもりだ、ジョン⁈

虎永が帰ってくる

エピソードが始まるシーンでは、網代の村民はバラバラにされた根原丞善とその兵の死体を始末している。その最中に急に使者が現れ、数千人の軍隊がこっちに来ていると報告する。その軍は江戸から来た虎永の戦士達。軍隊の先頭にいる虎永の隣には、大阪で死んだと思われた鞠子の夫、文太郎こと戸田広勝がいる。夫が生きていると知る鞠子の表情は喜びではなく、絶望である。

文太郎は大阪で殉死したと思われたが、20人の浪人の一団に加勢され、石堂官軍と戦いながらやっと江戸に辿り着いたが、文太郎以外に浪人は二人しか生き残らなかった。虎永は文太郎の勇敢さを褒め、鞠子には彼が生きていることが奇跡だと伝えるが、文太郎はこれから鞠子と藤と一緒にブラックソーンの家で暮らす、と言い立てることにより鞠子の家庭生活は更に苦しくなる。この決断からは悪い結果しか出ない。

その他、長門と薮重の問題がまだ残っている。虎永は愚かで素朴な息子に対して怒りを買うが、長門のミスは有益な機会を作り出したと喜ぶ。長門は完全に薮重に操られて根原丞善を撃ち殺し、結果として石堂と争う必然的な道が強いられたが、虎永は大阪を攻囲するよりもこっちの戦には勝てると信じている。

戦争に勝つ為には伊豆の力が必要だが、バカ息子を懲らしめないわけにはいかない。虎永は長門から大砲の采配を奪い、薮重の甥央海に任せる。「蛮人の大砲を使った兵法には驚くべき新たな値打ちがござりました」と報告を聞く虎永は、「演習を楽しみにしておるぞ。されど、わしが十分後ろに下がってからにしてもらいたい。根原丞善の二の舞いにはなりとうないのでな」と言い返す。虎永は薮重が石堂に大阪に戻れと命じられた情報を全て間者から聞いている。薮重は再びヤバい状況になっていると気付き、焦る。

権力の代償

「父の怒り」を観ている間は、虎永のキャラクターを平気で持てはやすことが不思議だと思った。「按針」と呼ばれる人物に虎永は深い興味を持つことは明らかだが、第3話「明日は明日」では按針の命と大阪からの脱出を引き換えにすることに対して迷いは一つもなかった。第5話では日本人の命も同じく、自分の目的の為ならそれを引き換えにすることが描かれている。

その目的は第4話「八重垣」で発言した「日本を反逆から守る」ことだろうか。第1話「按針」では、五大老から権力を掌握することに対して虎永は抵抗するが、これはただの見せかけだったのでは?漁師「村次」の真の正体は虎永の「大事な家臣」、殿本顕直であるうえ、虎永の間者として活動していることが明かされる。薮重が間者を熱心に追い詰めていると村次は虎永に報告し、自ら名乗り出る許可を虎永から求めるが、固く断られる。「間者の役目を続けよ。そのほうの身代わりをあてがってやれ」と虎永は命令する。この命令により別の人物が死刑を宣告される。その結果はエピソード全体を通して皮肉なことに皆の行動に響く。

虎永は間違いなく力を持つ人物である。だがその権力は利己的なものなのか、それとも政治的な現実で、将軍になる運命を抱える虎永自身が日本の国益から切り離せなくなったものなのか。今まで観てきた洋画や洋ドラマよりも、「SHOGUN 将軍」は主人公を国民的英雄として描くことと共に、彼の台頭は時に残酷な行動も含むことを正直に描いている。

国家の状態

現代のキリスト教的価値観や国際主義的人権概念を、それらが異質なものであった17世紀の社会に適用するのは間違いである。後から関連することになるが、ヨーロッパの社会は戦国時代の日本より特に進歩的ではなかったことを考えれば、なおさらである。「父の怒り」ではこの考え方は虎永の行動を超える。

例えば、エピソードの後半では、夕食中に文太郎が鞠子に暴力を振るうことに対して当面するブラックソーンは、イギリスでは結婚した女性は日本と同じく夫の所有物であると軽く述べる。彼は、19世紀の植民地支配者のように、東洋の女性差別からアジアの女性を解放する文明化の使命を帯びた、より啓蒙された西洋文明を代表するようなイデオロギーを持つ人物ではない。鞠子を庇う理由は、彼女の個人的な価値と、暗黙のヨーロッパ的騎士道を元にする女性に対する父性的態度に基づいている。これは「フェミニズム」ではない。

しかし、アメリカ人として、つまり、1860年代以降のどの時代よりもイデオロギーが分裂している国の国民として、「SHOGUN 将軍」がジェームズ・クラベルの1975年の小説とその歴史的背景の暗い側面を隠す誘惑に負けないことが印象的である。主人公虎永に例えると、アメリカ独立戦争を描いたドラマで、ジョージ・ワシントンやトーマス・ジェファーソンが勇ましい戦士であったことや、立派な政治家・哲学者としての手腕を描くと共に、奴隷所有者でもあった事実を隠さずに描くことと同じだ。

実在の徳川家康は、幕府を手に入れた後、残った豊臣氏を女性も子供も容赦なく虐殺した。「SHOGUN 将軍」は、虎永における徳川家康のフィクション化に関しては多少手加減をし、クラベルが書いた小説の主人公よりも栄誉ある人物を描いているが、政治の代償については率直であり続けている。虎永が善をなす為には、冷酷でなければならない。国に平和と繁栄をもたらし、それを守る為には、彼は犠牲を払い、他人を欺いて時に殺す必要もある。

虎永のスタイルは、賢い戦略を使って勝つこと。権謀術数の力を信じる人だが、「政略論」で書かれた非情の冷酷も公益のためであれば必要だと理解している。この無政府状態で独裁支配の社会では、虎永が将軍を目指す理由は自分の名誉のため、それとも国民のためなのかは、関係ない。彼が残すレガシーは今の行動とそれに続く先導によって変わる。虎永と日本の運命は既に一つになった。

最近の映画でも似たようなメッセージが残されている。「デューン砂の惑星PART2」は、カリスマがある救世主のような首脳についていく危険を描く。「ゴジラ–1.0」は、日本のナショナリズムを、幕府から大日本帝国へと続いた伝統的な武士の殉死に対して民主化する。その映画のメッセージは「この国は生きることの価値を甘くみている」「政府は若者の命を捨てていた」との攻撃であれば、1600年に鞠子が呟く「死は私達の全ての環境にある」ことは驚かないでしょう。

写真:「ラストサムライ」の主人公を演じるトムクルーズ(つまりブラックソーンのマッチョ版)

ブラックソーンと鳥

「SHOGUN 将軍」は、ブラックソーンのキャラクターを主に中心にはしないが、馬鹿者として描くクリシェも上手く避けている。このエピソードでは、ブラックソーンは最初は馬鹿馬鹿しくみえる。彼が軽く言う言葉からは後から大変な惨劇の結果が出てくる。鞠子を夫から庇おうとする彼も高貴ではあるが、鈍い部分もある。

第1話の「小味」について書いた私のコメントを振り返ると、コスモ・ジャーヴィスの素晴らしい演技はブラックソーンをただの蛮人とは見せず、彼の信憑性とカリスマ性を保っていることは明らかだが、「SHOGUN 将軍」は『ラストサムライ』の戦争ヒーロー、ネイサン・オールグレンのような神話的な高みにブラックソーンを昇らせることはまずない。

ブラックソーンは一般的なヒーローではなく、まずは海賊である。彼の今までの勝利は半分勇気と半分無知の結果である。『ラストサムライ』のトム・クルーズのように、何ヶ月も剣術のトレーニングを受け、のんびり渡辺謙と一緒に哲学的な話をしている暇はない。一冬で日本語をペラペラに喋れるようになる程の語学的な能力はない。

ゲティスバーグのような近代戦の最先端で戦った経験もなく、歩兵戦も一度も見たことがない。しかし、マニラでの略奪と襲撃の経験はある。虎永にとっての唯一の財産は、カトリックと戦争中の国の出身であることと、自分が造ったわけでもない、実に優れた大砲の元所有者であることだ。本来なら、彼はとっくに死んでいるはずだ。鞠子を文太郎の不幸から救うことはできない。彼はルールを知らない。すべては一羽の鳥から始まる…

写真:「按針様、戸田様は『カブトドリップ』よりも、『死の一瞬』のラップ曲の方が良かったと申しておりまする」

戸田の駄々

虎永からキジを贈られたブラックソーンは、鍋物を作ろうと思い、鳥を熟成させるために屋敷の外に吊るす。このプロセスが何なのかは明らかではないが、ブラックソーンが死を賭けて鳥を取り除くことを無遠慮に家のものに禁じた後、鳥は腐り始め、家と村の人を困らせる。一方、文太郎が戻ってくると、妻とブラックソーンの間の関係を身抜かしたのか、それともただのクソ野郎なのか、すぐに夕食でイギリス人を敵対視し始める。鞠子はきっと夫は死んだ方がよかった、と思っているのだろう。

ブラックソーンは自分が侮辱されていることに気づき、文太郎と酒飲み競争を始める。戸田広勝という男は家族の周りでは暴力的で怒りっぽく、支配的な男であることをすでに見せている。驚くことに、彼はこのエピソード中にさらに性格がひどくなり、酔っ払って鞠子の家系を侮辱し、ブラックソーンの家の門柱に向けて彼女の目の前に矢を放つ。

また、第1話で鞠子が藤の自殺を止めた理由は、彼女の苦しい実体験を元にしたとわかった。彼女は虎永への義務感や信仰心の為に自害を遅らせたのではなく、単に文太郎にそれが禁じられたため、恥をかかずに切腹することも復讐することもできない。

ブラックソーンが鞠子を庇おうとすると、文太郎は「汚れた血が流れておる」と鞠子の家系を侮辱する。彼女は太閤の前の統治者、黒田様(=織田信長)の家臣、明智仁斎の娘である。「父はこの国のために極悪非道な黒田様を亡き者にした」と鞠子は語る。その処罰として、鞠子の父は家族を全員介錯し、最後に切腹で死んだ。

その後、ブラックソーンは夜中に文太郎が酔っ払って鞠子を殴っている音を聞いて目を覚ます。ブラックソーンは文太郎を家から追い出し、銃で撃つと脅すが、恥ずかしさに耐えかねたのか、それとも銃弾をかわすことができなかったのか、文太郎は刀を捨て、旗本の家を乱したことを詫びる。怒り狂ったブラックソーンは、文太郎が無防備な状態で処刑することをしょうがなく諦める。

翌朝、藤や他の村人たちがひどい匂いのする鳥を取り外してほしいと懇願する中、ブラックソーンは鞠子を探し出す。彼女を海岸の近くに見つけ、卑劣な夫と別れよと強く言うが、彼女はそれを断り、戸田広松が藤に父親の卑怯な死について嘘をついたように(「それが彼女が望むことだから」)、彼女は夫に 「私の憎しみさえも 何も与えない」と告げる。

行動綱領

ブラックソーンは納得せず、日本人が人命を完全に軽視している考えにますます愕然とする。鞠子は、話しかけるなと要求し、自分勝手なままでは自分のエゴから解放されない、と彼に伝える。だが二人の関係についてはこれで終わりではない。何よりも、按針はこれまで、鞠子が八重垣で守ってきた揺るぎない忍耐や、17世紀の日本で男性が女性をさりげなく侮蔑することに代わる存在だったのだ。

これは第3話の「枕」の会話から明らかであった。鞠子は西洋人の男性は女性をただのセックスの価値しかないモノだけとは思わず、単に女性の純潔を守るべき者という考えに驚き、興奮しているように見えた。

ブラックソーンがさらりと告げたように、この純粋さは実際には存在せず、それを支える騎士道もただの作り話であったが、彼の「私には領主はいない」という階級へ対する恭順の拒絶は、西洋的個人主義と性的平等と共に、彼女が自分の存在を構築してきた、魂を押しつぶすような自己抑制と義務に代わる選択肢を彼女に示した。澤井杏奈は鞠子のことを家父長制で「苦しんできた日本のすべての女性」を代表するキャラクターだと語っているが、このエピソードは彼女の最も過酷で達成感のある演技を要求している。

細川ガラシャの歴史を知っている人、小説を読んだ人、又は『SHOGUN 将軍』を見た影響で詳しく調べた人は、結局のところ、これは鞠子の物語でもあり、彼女の戦いがなければ勝利もないことを知っているが……ここでそれについて更に深く話したいところだが、『SHOGUN 将軍』はまだ半分もエピソードが残っているので、今それをネタバレするのはまだまだ早い。

祟り神の鳥

「自由」であることには「責任」も含まれているが、ブラックソーンはそれをまだ理解していない。彼が家に戻ると、藤と家のものはなぜか喪に服している。村中に祟り神がいるとの噂を広めたあの腐ったキジの死骸は消えている。植次郎が始末したようだ。

ブラックソーンは彼の行動を褒め、藤に彼を連れてくるよう頼む。だがそれは不可能な頼み事である。なぜなら、植次郎はブラックソーンの命令で処刑されたからだ。ブラックソーンは旗本である、つまり彼が本気でなくても、彼の言葉は法律である。「あのじいさんを死なせたのか?たかがキジのために…どうなってるんだ?」と驚く。藤はその過ちの代償として切腹を申し入れるが、ブラックソーンは激怒する。死を中心にするこの文化に自分の居場所は絶対ないと確信した彼は、船を取り戻してすぐに出発をしたいと虎永に要求する。

一方、鞠子は、文太郎を過度に敵対し、自分が殴られたことを虎永に詫びる。虎永は特に気にしてはいない。文太郎は、通訳の業務を邪魔しない限り、妻をどうしようと勝手だという。ブラックソーンは虎永の前で植次郎の死について苦情を言う。虎永は二人の間にある緊迫感をすぐに把握するが、長門と同じように、鞠子に「子供みたいな行動は辞めろと言ってやれ」と伝え、ついていられないかのように軍隊を調査するために歩き去る。

植次郎の死における自分の責任をようやく理解したブラックソーン。その途端、大地震が網代を襲い、虎永が崖から投げ落とされ、生き埋められる。ブラックソーンと長門が瓦礫から虎永を掘り出した後、ブラックソーンは虎永の失った刀の代わりに藤からもらった大小の刀を虎永に差し出す。虎永は、腹立たしくて興味深い家臣を見て笑う。藤が地震で負った怪我から回復する中、ブラックソーンは丁寧に植次郎の石庭を再建する。村次は薮重に嘘をつき、植次郎が間者だったと伝えることで、自分と共に他人の誰かを拷問と死から救う。

その後、落葉の方は大阪に帰ってくる。彼女は石堂の無効さとキリシタン同士のいさかいを知ってうんざりしている。太閤の世継ぎの母親として、彼女は五大老を超える権力を主張する。政治の時期は終わった。戦争の太鼓を用意せよ。

最後に

『SHOGUN 将軍』のエピソードを比較することは無意味になってきた。どのエピソードも素晴らしく、低評価はほとんどなく、非の打ちどころのない映像、脚本、演技、キャラクター展開全てを見せてくれる。第3話で文太郎が石堂の兵を手際よく倒したように、『SHOGUN 将軍』は今まで5時間のテレビを効率よく放送し、無駄なシーンはほとんどない。東洋と西洋の文化の衝突を描く複雑なストーリーの中で、どの視点も真実を独占することが許されず、どの人物も美徳や悪徳を独占することも許されない。

真田広之、澤井杏奈、コスモ・ジャーヴィスの3人は、それぞれのキャラクターが追い求める大きく異なる目的にしっかりと向き合いながら、互いの長所を補い合うことで優秀な中心的トリオである。唯一の欠点はアクションの少なさで、第3話でも完全には満足させられなかった。クラベルの散文とは異なり、最後の関ヶ原の戦いを間近でスクリーンで見ることができるかもしれない、と信じている。

写真提供:FX

ベンジャミン・ローズはワシントンD.C.出身の詩人。「エレジー・フォー・マイ・ユース」と「ダスト・イズ・オーバー・オール」を2023年と2024年に発刊。アメリカカトリック大学で英語学を専攻し、2023年にオへーガン詩賞を受賞。2019年から「ザ・パス」のブログを編集している。彼の本はこちらから購入可能。

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